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2024/10/05|
無題
雨     最高気温:26.7℃   最低気温:23.9℃
熊谷うちわ祭・敦賀気比神宮総参祭

たまに雲の切れ間はあるものの、ほとんど傘が手放せない一日でした。大抵は急ぎの用事がない年金生活者は、こんな日には家に居れば良さそうなものですが・・。田布施在住の中高の同期生の友人(口の悪い友人に「あんたが面倒見て貰う方でしょうに・・」などと言われながら民生委員などしておる)が企画した(老人会の)バスハイクにキャンセルが出たので「あんたら夫婦で参加してくれんか」との連絡があり、(親切にも)通津の夫婦もう一組も誘って参加する事にしました。行先は(視聴率が低迷しているとの)大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台であり、先日世界遺産に決まった「産業遺産群」がある萩です。私は数回訪れていますが「雨の萩」は初めてでした。
写真を数枚撮りましたが後日アップします。
黄檗宗(おうばくしゅう)東光寺の総門。元禄6年(1693年)頃の建立。実はこの総門を建てたのは通津の景福寺(黄檗宗)で一時住職だった僧侶だったとの説もあるようですが、景福寺の開山が安永元年(1772年)との記録が残っているので、そこには約100年近いタイムラグがあります。解らんな~。
小雨の中を三門に向かって。緑がとてもきれいだった。
東光寺三門。文化9年(1812年)建立。いかにも古く、でもどっしりとした品格のある建物。
黄檗宗・東光寺:山号を護国山と言い、元禄4年(1691年)萩藩主:毛利吉就が建立。吉就は若くして深く黄檗宗に帰依して、本山黄檗山・万福寺(京都府宇治市)に範を求めて広壮な堂宇を建立し、萩出身の高僧・慧極道明禅師を開山に迎えました。吉就の没後ここに墓所を営み、毛利氏菩提寺になりました。黄檗三叢林の随一と称えられ、文化年間の最盛期には全山塔40棟を数えたと言われています。
東光寺境内の奥深い場所にある毛利家の墓所。一番奥には萩藩主3代吉就、5代吉元、7代重就、9代斉房、11代斉元並びにその夫人の墓10基があり、その周辺には枝葉近親者20基余が並んでいます。
幕府への謝罪のために殉職(自刃)した烈士の墓石も並んでいて、単独・夜間には行きたくない場所です。何やら冷気(霊気)が漂っている雰囲気です。
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2015/07/22| 日記

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