曇り 夕方~晴れ 最高気温:11.5℃ 最低気温:1.1℃
県高校野球連盟から2011年度の事業計画が出されました。それによると「春季県予選」は4月14日~18日で決勝大会は23日~25日。夏の「第93回全国高校野球選手権・山口大会」は7月15日に4会場で開幕します。地区予選が7月15日~21日で、ベスト8以上が戦う決勝大会は23日に始まり決勝戦は26日です。また夏の甲子園に出場するチームは、山口国体の高校野球競技会に出場する事になり、日程は10月2日~5日です。夏の大会が終わった後のチームで行われる「県体育大会」の地区予選は9月8日~13日、決勝大会は17日~20日です。春の気配が感じられるようになって、いよいよ野球シーズンが近づきました。
岩国高校は良さそうですが、あまり期待過剰にならないようにしようっと!
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晴れ 最高気温:11.5℃ 最低気温:4.6℃
満月
「布団干しフェチ」にとっては嬉しい日でした。お布団を干すのには幾つかの条件があって、単にお日様があれば良いわけではありません。数時間の晴天があれば可能ですが、空模様を予測する能力が欠如しているのと、「当たらない」と言いながら天気予報を信じてしまうために何度失敗したか知れません。数分の内にお布団の元に駆けつけられる状況にいるのでなければ、安心して干す訳には行きません。その点今日は満足にして充分な条件で幸せでした。但し、私の身体的条件はイマイチです(まだ右肩が痛みます)。
昔歌ったような「お盆のような月」がぽっかり浮かんでいます。「寒月煌々」という感じがしません。春がそこまで来ているのかな?
雨 最高気温:7.6℃ 最低気温:4.0℃
起きたときは「今日は温かい」と感じましたが、時間が経つにつれて気温は下がったようです。最低気温は真昼間だったかも知れません。
「2011年度(山口)県公立高校志願登録者数」が出されました。この1次募集倍率を参考にして、受験生は受験する学校や学科を最終的に決める事になります。さて我が母校・岩国高校はというと・・。普通科:1.2倍、理数科:1.5倍です。理数科は定員40人ですが、内12人は推薦で内定済みなので募集は28人です。岩国高校の分校になった坂上分校:1.0倍、広瀬分校:0.5倍です。因みに一番高い倍率だったのは山口農業高校の生物生産科:3.2倍でした。第1次産業である農業に夢を託す若者が増えているのだとしたら嬉しい事です。入試は3月8日に行われます。
「大城」から見える海は、同じ瀬戸内海でも「家の海」とはちょっと違った顔をしているので飽きません。きれいな日没を観、様々に調理されたヒラメの夕食を食べ大満足でやすみ、天気が崩れるとの予報に背中を押されて早めにホテルを後にしました。全て良かったのですが、中でも良かったのは「年金生活者に嬉しい」その料金でした。夕食時に連れ合いが飲んだアルコールも含めて、支払ったのは14000円弱でしたよ。おいでませ~!
ホテルからの帰途梅園に寄り道しました。梅の写真は順次載せます。
晴れ 夕方~曇り 最高気温:9.2℃ 最低気温:-2.0℃
現在、国内の公立小中学校は40人学級ですが、山口県内では小学3年生まで35人学級になっています。県は来年度からは小学校高学年・中学校も35人学級にする事とし予算を計上しました。国内初だそうです。思い返せば私のその時代は50人は当たり前で、それ以上の事も珍しくはなかった気がします。教室の後ろまでギッシリと机を並べていました。ヤンチャ盛りの子ども50人を一人の教師が見るのは大変だった事でしょう。当時は「おちこぼれ」などと言う冷たい言葉は聞いたことがありません。泣いたり笑ったり結構忙しい日々だったと記憶しています。あの多人数の中で鍛えられた部分もあるはずです。と言って少人数制に反対な訳ではなく逆です。私たちの時代は全てがシンプルでしたが、多様化した今は(昔はしたくても出来なかった)きめ細やかな接し方が必要とされるでしょう。
部屋から見えたドックです。大きなタンカーや貨物船などには4艘ものタグボートが囲んで誘導していきます。夜になってドックと船の灯りがきれいでしたが、写真にしたらご覧のように真っ暗になっちゃいました。
今日はお布団を干すのに最適なお天気でしたが、外せない用で家を空けるので叶いませんでした。どうでも良い事ですが、私は布団干しフェチです。
夜、大分立派な体格になった月が泣きべそ顔で中天にいました。
一日中霙まじりの雨 最高気温:1.4℃ 最低気温:0.4℃
一日の気温差が1℃なんて考えられない日でした。
起き抜けに2階から寒そうな外を見ると、前の田んぼの中に見慣れないものが転がっていました。衰えてきた視力を駆使して良~く見ると・・何と!それは先日来小鳥の餌を入れるたびに盗まれていたプラスティックの小皿です。カラスがどこかへ溜め込んでいるのかと思っていたら、あんな所に捨てていました。盗られた数(3枚)だけちゃんと散らばっていますが、取りには行けません。田圃の主に拾って貰う事にします。それにしても「どんな所に隠してるのかな?」なんて、悔しがりながらも想像を逞しくしていたのに全く夢のない話です。
宿の「大城」に着きましたが、チェックインまで時間があったので、広い敷地を散歩してみました。小高い場所に立っている像は「長岡外史」で、1856年に現在の下松市で生まれました。陸軍大学校の1期生で、1909年陸軍中将の時に「臨時軍用気球研究会」が発足し初代会長に就任。国民の航空思想を高めようと飛行講演行脚を15年間続けました。「民間航空育ての親」と言われる所以です。更に師団長として赴任していた上越市(旧高田)でスキーに出会い、普及に貢献。「日本スキーの先駆者」と言われる所以です。像の足元にある碑はその功績を讃えてオーストリアから贈られたものです。更に・・最も面白いのは彼の髭で、ピ~ンと横に伸ばして「長さが67.31㌢」あったそうで、これは「世界一」とご自慢だったようです。偉業を成した人だけど異様としか見えませんな。