曇り 時々 晴れ 夜半~雨 最高気温:25.8℃ 最低気温:18.4℃
伊勢神宮月次祭・奈良率川百合祭
興教大師誕生会・九星陰遁始め
月初めに予定されていたのですが雨のために延期されていた通津小3年生の校外学習(通津たんけん)のサポートをしてきました。 1・2組の40余人を3班に分けて3ヶ所の通津名所(?)を廻ります。
「東沢瀉終焉の地」:西の松陰・東の沢瀉ということになっているらしいのですが、沢瀉ハンの知名度はさっぱりです。陽明学を修め、教え、通津のこの場所で65歳で亡くなりました。
「イヌマキの巨樹」:樹齢300~400年。樹高16㍍。周囲6~7㍍。県の天然記念物に指定されているご神木です。幹には洞が出来、太い「ノウゼンカズラ」に巻きつかれています。ノウゼンカズラに敗けてしまうのでないかと危ぶまれますが、良く観ると「もちつもたれつ」で立っているようでも。
「吉川広家公終焉の地」:毛利元就の孫に当たる広家公は岩国城の初代藩主です。景色の良い通津に隠居し、通津の干拓を勧めこの場所で亡くなりました。
この3ヶ所を2時間かけて歩く子どもたちを先生と一緒に引率しました。先生方は通津在住ではないので、私たちが案内しなければ目的地に行きつけません。それぞれの場所での説明を担当するのも、子どもたちが危なくないようにと事前に草刈をしておくのもNPOが担っています。
帰宅して万歩計をチェックしたら約1万歩でした。
日付が変わる直前から雨です。明日は一日中雨との予報は当たったみたい。
解っているだけで120万人分と言われている年金機構の情報流出ですが、順次「郵便で問い合わせ」をします。電話や訪問での問い合わせはありませんから詐欺にご注意・・って事でしたが、その封書が届いた年金受給者から「これは本物でしょうか」との相談があり、封書を出すのは「や~めた」そうです。当初100台の電話で相談を受け付けたら初日にパンク。翌日から1000台に増やして対応しているとか。どれだけの経費をかけているんだか・・。それもうまくいかないから止める。何だか計画性も何もあったもんじゃないね。「ええかげんにせいよ」と大人しい私でも言いたくなるぜよ。
柏崎えんま市・八せん終わり
憲法が色々に解釈できるなんて変です。それも半世紀以上経ってから言い出すなんて、自分の都合で言ってるのがミエミエで、だからどうしても無理がでるのです。衆議院憲法審査会は当面「休止」すると与党は考えているようです。理由は「審査会は憲法の本質を議論する場だが、ちょっと脱線した。レールを元に戻す」だそうです。追い風を期待したのに、風向きが変わって向かい風になりそうだからって、そりゃないでしょ。憲法をきちんと読めば「違憲」だと言っているのです。もっと謙遜を知るべきです。
終息を迎えた「錦糸梅」です。
午前中降り続いた雨が上がって、穏やかな夕暮を迎えました。午後6時半の西の空です。
弘法大師誕生会・北海道神宮祭
苦手なものは数知れずありますが「ブランド」もその一つです。「ブランド志向」とか「ブランド好き」と言うと、有名メーカーの商品で並みの物より高価とのイメージがあります。と思っていたけれど違ったかな?古い辞書で引いてみるとbrandは「品質」「銘柄」「商標」の他に「烙印」「汚名」もあって驚きました。簡単に「ブランド」と言うけれど「高級ブランド」とか「一流ブランド」と言わなければいけんかったんやね。
「衣服」「バッグ」「靴」何に関わらずメーカーなどさっぱり解りません。どのような高価な物を身に付けて目の前に来られても「ネコに小判」「豚に真珠」で、直ぐに気付いてお褒めすることはできませんので悪しからず。私にとっての「ブランド品」は色々な意味で「気に入った品」って事になります。使い勝手が良くて10年以上も使っているバッグは、急に必要になって倉敷の道端のお店で500円!で買ったものです。私としては「高いな~」と思って買ったバッグもありますが、どうにも今ひとつ・・貧乏性なので処分もできないでいます。絵画などもいくら有名画家が描いたものでも「スキ」じゃなければ(私には)何の価値もありません。自分勝手な「そんなこんな」を考えれば人間だって同じじゃないの?と思ってしまいます。「私は私と言うブランド」で、全ての人がこの世にたった一人だけの「大切なブランド」だよねと。ダメだらけの自分を認め、いとおしく思えれば(自分勝手な)幸せでいられるはずです。こんな事を言ってる私だから「自己啓発」との相性が悪いんだろね。
(岩国名物) レンコンは適度の雨を受けて順調に大きく育っています。
曇り 後 晴れ 最高気温:26.5℃ 最低気温:18.2℃
大阪住吉田植祭
年をとるとつい言ってしまう事に「気がつかない内にこの年になった」があります。若い時にそんな科白を聞くと「嘘だ~!」と(心の中で)思ったものですが、それは本当です。「お兄ちゃん」だと思っていた高校球児が同期生になり、弟分になり、おじさんたちだと思っていたプロ野球選手も横綱も総理大臣さえも「いつの間にか」年下です。いつの頃からか(世間では良い大人をさして)「あの子・この子」などと呼ぶようになってからは、急斜面を転がり落ちるとの例えそのままに周囲の誰もが年下になり、自身が長老になっていたりするのです。自然な流れではあるのですが不思議な感覚です。
NPOの作業を予定すると何故かお天気になる事が多く、今日も(梅雨なので危ぶんでいましたが)予定通り地元の小学校の庭木剪定作業をしました。思った以上に庭木が繁っていたり、松がやたらに伸びていたりで手間取りました。汗がジワジワ~ダラダラと流れる暑さで、結局少し残して今日は終わり!にしました。
疲れて午睡のために横になり、急に可笑しくなりました。「(うろ覚えですが)寝るより楽はなかりけり 浮世のバカが起きて働く」と言う言葉を思い出しての事です。
唐突ですが(いつもと同じって事です)、啓発セミナーなる催しはどこかで日々あるし、本屋さんには啓発本がウントコサ並んでいます。セミナーはそこそこ盛況らしいし、本の売れ行きも好調のようです。私は・・と言うとはっきり言って好きではありません。自覚はしていないのですが(なので猶始末が悪い)、私は生意気なのではないかと思います。私を知る人からは「今更何を言うちょるか!」との声が聞こえるようですが、自分が生意気な人間だと自覚している人は多くないのでは?私自身がそうであるように、自分は「結構善良な(小)市民である」と思っているのではないでしょうか。若い頃には幾つかのセミナーらしきものにも参加した記憶があり、それらしき本も相当読んだと思います。なかなか「胸にストンと落ちる」という経験はできませんでした。人生経験豊かな講師の話を聞いたり、著名な学者が書いた本を読む事で「人間性を磨くなんてできっこない!」と自分勝手に悟ってしまったんですね~。人として生きて行くために必要な「向上心」ってものもついでに捨ててしまったようです。今の私はその「なれの果て」なのです。不幸せかって?そんなこれまでを反省・後悔しているかですって?いいえ、ちっとも。向上心がなくても生意気でも何とか日々生きて「今が一番幸せ!」なんてうそびいてますです。
高村さんが「憲法学者が政治を行う訳ではない」のような発言をしていました。はっきり言って見苦しいです。憲法について専門の学者が話す内容を頭ごなしに否定している彼の顔は「下品」でした。(私ごときに)こんな風に見えるって事は、言葉の使い方を知らないアホや~と。同じ内容の事を言うにしても「言い方」があるんじゃないでしょうか。安倍さんがルスだから、その間「何としてでも守り抜かねば・・」との必死さがそうさせるのでしょうか。いずれにしても暗澹たる思いです。
やっとの事で日本ハムから1勝を奪いました。(私が好きな方の)阿部(慎之介)ちゃんがベンチにいないと勝てる気がしません。なでしこジャパンの澤さんのように「存在」そのものに価値があるのです。お漬物には重石が必要なようにね。