曇り 時々 晴れ間 最高気温:8.7℃ 最低気温:-2.1℃
初観音
三が日を過ぎてから比較的落ち着いた気温でしたが、今日は冷えました。
昨日はTVもラジオも一日中祈りの中にありました。被災者が(やっと語れるようになった)20年前の日の事を聞いていて、思い出した事がありました。当時も今も関西には親戚がほとんどなく、大阪に住んでいた高校の同期生(♂)から聞いたことです。マンション住まいで結構揺れ、食器類は殆ど落下。「後始末が大変だったでしょう」と言うと「大丈夫な物が残ってないから全部捨てるだけだったからね。それほどじゃなかったよ」と。物は買いかえる事ができるけれど、買い換えられない「命」が失われる時間の傍にいた彼が言いたかったことが解ったような気持ちになったのでした。
列島のどこで大地震が起こっても不思議じゃない状況です。ここは「南海トラフ」に狙われています。と言いながらも何の備えもしていません。「なるようになるさ・ケセラセラよ」との無責任さと、「家は大丈夫じゃないかな?」との根拠のない楽天主義とが私を支配しています。どうも通津の友人たちにはこのタイプが多いみたい。困った事です。
蝋梅が良い香りと蝋細工のような花びらで咲いています。
初観音
三が日を過ぎてから比較的落ち着いた気温でしたが、今日は冷えました。
昨日はTVもラジオも一日中祈りの中にありました。被災者が(やっと語れるようになった)20年前の日の事を聞いていて、思い出した事がありました。当時も今も関西には親戚がほとんどなく、大阪に住んでいた高校の同期生(♂)から聞いたことです。マンション住まいで結構揺れ、食器類は殆ど落下。「後始末が大変だったでしょう」と言うと「大丈夫な物が残ってないから全部捨てるだけだったからね。それほどじゃなかったよ」と。物は買いかえる事ができるけれど、買い換えられない「命」が失われる時間の傍にいた彼が言いたかったことが解ったような気持ちになったのでした。
列島のどこで大地震が起こっても不思議じゃない状況です。ここは「南海トラフ」に狙われています。と言いながらも何の備えもしていません。「なるようになるさ・ケセラセラよ」との無責任さと、「家は大丈夫じゃないかな?」との根拠のない楽天主義とが私を支配しています。どうも通津の友人たちにはこのタイプが多いみたい。困った事です。
蝋梅が良い香りと蝋細工のような花びらで咲いています。
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晴れ 時々 曇り さいこうきおん:8.3℃ 最低気温:3.9℃
防災とボランティアの日・秋田梵天祭
阪神淡路大震災から20年。長かったと感じる方も短かったと感じる方もあるでしょう。震災に遭われた方々にとっては、様々な事柄について「耐える」時間だったことでしょう。20年前のこの日のこの時間、東京の自宅でいつものように早起きの我が家では(時計代わりの)TVで地震を知りました。6時過ぎの事で「あらっ死者も出たみたいよ」と連れ合いと会話し彼は出勤。私と子どもたちは(当時友人の子どもたちと一緒にしていた)ジョギング(6時15分から20分程度)に出ました。帰宅してただならぬ事態になっている事を知りました。
1~2年後、神戸の公立病院で看護部長(昔は総婦長)をしていた同期生が、東京の病院で看護部長をしていた同期生の要請でスタッフに向けて「震災体験」を話しに来ました。(スタッフではない)私も出席させてもらい生々しい体験談を聞かせてもらいました。彼女自身の家は倒壊し(2階で寝ていて被災)気づいて外に出ようと階段を下りようとしたら階段がない!壊れた窓から外を見たらそこは道路の高さだったそうです。とにかく「病院へ行かねば・・」と裸足で外に出て歩き始めたら、途中で人が紐のないスニーカーを下さったとか。何時間もかけて病院へ辿り着き、それから1週間は「顔も洗えなかった」と。入院患者と押し寄せる外来患者への対応は、聞いていたスタッフには大いに参考になったと思います。震災から数年後「元気になった神戸を見て欲しい」と彼女が幹事をかって出てくれて、神戸での同期会が実現しました。
夕方が明るくなりました。5時半の空です。
防災とボランティアの日・秋田梵天祭
阪神淡路大震災から20年。長かったと感じる方も短かったと感じる方もあるでしょう。震災に遭われた方々にとっては、様々な事柄について「耐える」時間だったことでしょう。20年前のこの日のこの時間、東京の自宅でいつものように早起きの我が家では(時計代わりの)TVで地震を知りました。6時過ぎの事で「あらっ死者も出たみたいよ」と連れ合いと会話し彼は出勤。私と子どもたちは(当時友人の子どもたちと一緒にしていた)ジョギング(6時15分から20分程度)に出ました。帰宅してただならぬ事態になっている事を知りました。
1~2年後、神戸の公立病院で看護部長(昔は総婦長)をしていた同期生が、東京の病院で看護部長をしていた同期生の要請でスタッフに向けて「震災体験」を話しに来ました。(スタッフではない)私も出席させてもらい生々しい体験談を聞かせてもらいました。彼女自身の家は倒壊し(2階で寝ていて被災)気づいて外に出ようと階段を下りようとしたら階段がない!壊れた窓から外を見たらそこは道路の高さだったそうです。とにかく「病院へ行かねば・・」と裸足で外に出て歩き始めたら、途中で人が紐のないスニーカーを下さったとか。何時間もかけて病院へ辿り着き、それから1週間は「顔も洗えなかった」と。入院患者と押し寄せる外来患者への対応は、聞いていたスタッフには大いに参考になったと思います。震災から数年後「元気になった神戸を見て欲しい」と彼女が幹事をかって出てくれて、神戸での同期会が実現しました。
夕方が明るくなりました。5時半の空です。
雨 午後 曇り~晴れ間 最高気温:11.0℃ 最低気温:5.5℃
小正月・小豆粥
半年前に胃と大腸の両方に癌があると診断された友人(中学校の同級生)の夫氏が12日に亡くなり、今日が告別式でした。彼女がお見合いで結婚した相手が、私の高校時代の部活の先輩だったと知ったのはこちらに住み始めてからでした。そんな縁で何回かお宅訪問もしました。彼はどこから見ても病気とは縁がなさそうな体格の持ち主でしたが・・。入院・手術・治療と辛い半年だったろう事が、今日会った彼の顔を見て察せられました。告別式は「臨済宗」の形式(というのでしょうか)で行われましたが、多分初めてだったと思います。長い頭巾を被った僧侶・聞き取れないお経・途中で鳴らされるシンバル(ドラ?)・突然発せられる大きな声などなど(不謹慎かも知れませんが)珍しい経験でした。
連れ合いはメジロフェチだと思っています。きっと子どもの頃に(今は禁止されている)鳥モチなどを持って山を駆け回っていた頃が懐かしいのでしょう。この季節メジロの気配がするとソワソワと落ち着きません。早速ミカンで引き寄せ写真に収めました。
間もなくやって来たのは嫌われ者の「ヒヨ」です。ヒヨは散々ミカンを突っつきまわして、最後には台から蹴り落として飛び去ります。
私にとっては「大鳥」も「小鳥」も捕まえたり食べたりする対象ではなく、適当な距離を置いて「観る」だけの生き物に過ぎません。
小正月・小豆粥
半年前に胃と大腸の両方に癌があると診断された友人(中学校の同級生)の夫氏が12日に亡くなり、今日が告別式でした。彼女がお見合いで結婚した相手が、私の高校時代の部活の先輩だったと知ったのはこちらに住み始めてからでした。そんな縁で何回かお宅訪問もしました。彼はどこから見ても病気とは縁がなさそうな体格の持ち主でしたが・・。入院・手術・治療と辛い半年だったろう事が、今日会った彼の顔を見て察せられました。告別式は「臨済宗」の形式(というのでしょうか)で行われましたが、多分初めてだったと思います。長い頭巾を被った僧侶・聞き取れないお経・途中で鳴らされるシンバル(ドラ?)・突然発せられる大きな声などなど(不謹慎かも知れませんが)珍しい経験でした。
連れ合いはメジロフェチだと思っています。きっと子どもの頃に(今は禁止されている)鳥モチなどを持って山を駆け回っていた頃が懐かしいのでしょう。この季節メジロの気配がするとソワソワと落ち着きません。早速ミカンで引き寄せ写真に収めました。
間もなくやって来たのは嫌われ者の「ヒヨ」です。ヒヨは散々ミカンを突っつきまわして、最後には台から蹴り落として飛び去ります。
私にとっては「大鳥」も「小鳥」も捕まえたり食べたりする対象ではなく、適当な距離を置いて「観る」だけの生き物に過ぎません。
曇り 後 晴れ 最高気温:9.8℃ 最低気温:1.7℃
昨日は高校生お獅子に頭を噛んでもらって「優の診断書」を受け取った気分になり、夕方、小学校のグラウンドで行われている「とんど焼き」にしめ飾り持参で行きました。
消防団員に取り囲まれてとんどの火は勢いよく燃え、戸別訪問を終えた4頭の獅子たちが集結して獅子舞を披露している最中でした。
舞い終えた獅子たちに子どもたちが群がって「噛んで!噛んで!」と嬉しそうです。ここでは例年、お餅が入ったぜんざいが振る舞われていて「こんなに人がいるのね」と感心する位の行列ができています。「行列嫌い」で「待ってまで食べたくない」私は一度も味わった事がありません。
近頃はその道の「本」に取り上げられたりすると(特に食べ物)直ぐに多くの人が駆けつけ、結果行列ができます。パン・ラーメン・は言うに及ばず、ポップコーンに至るまで何時間でも並ぶ根性は見上げたものです。「なぜ並ぶのか」と問われた女性が「人が並ぶような品には間違いがないから」と答えていましたが、この答え、私は気に入りませんな。
数年前、広島駅ビル内の「お好み焼き通り」での事。屋台風の店が何軒もあるのに行列の店と閑古鳥がギャーギャー鳴いている店がありました。勿論だ~れも入っていないお店を選びました。自慢じゃありませんが私は味音痴で、自分が調理したもの以外は何でも美味しいと感じるのです。隣の屋台の喧騒を横目にゆったりと出来上がりを待っていたら・・あ~ら不思議二人・三人とお客さんが入って来るではありませんか。丸で「さくら」になった気分でしたが、行列なんて「そんなもんだ」とその時に理解しました。