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2024/10/07|
無題
曇り 時々 晴れ間  最高気温:8.5℃  最低気温:1.6℃

イスラム国の数々の蛮行は目に余ります。うろ覚えですが、世界の三大宗教は仏教・イスラム教・キリスト教で、私たち日本人にとって、一番身近じゃないのがアラー(正式にはアッラーフ)を唯一絶対の神としてを信仰するイスラム教じゃないでしょうか?三大宗教は信者数によって決まるのではなく、民族・地域を超えて広がっている事で決まったようです。因みにキリスト教信者が20億人、イスラム教が13億人、仏教は3億6千万人とのことです。数から言えば、ヒンドゥー教は9億人の信者を擁しています。子どもの頃から「目には目を!歯には歯を!」と言う言葉を(何故か)知っていましたが、映画か何かの影響でしょうか。ほとんどのイスラム教徒は平和主義者で、どこで何がどうなったのかしらと疑問ですが、経典の解釈次第なのでしょうか。キリスト教・仏教にも多くの宗派があり、少しづつの相違があります。
前にも書きましたが、信仰は「(私にとって)心の平安を得る」ものです。教会が近くになくても、礼拝に出席できなくても自分がキリスト者であるというだけで平らな心でいる事ができます。お寺の境内に小さな社(神社)があるのは良く見る風景です。神仏混合が普通に存在するこの国は、と言うよりもこの国の民は農耕民族の古代そのままに穏やかにいられるのに・・。
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2015/01/23| 日記
無題
曇り 時々 薄日 小雨  最高気温:11.6℃  最低気温:6.4℃
黙阿弥忌

昨日眼科に行った時に待合室で待っていました。TVがついている直ぐ下に「○○の駐車場には駐車されないで下さい」との貼り紙があり、それが引っかかりました。こんな風な言い回しがあるんかいな?と。どうやら近くの飲食店と駐車を巡って一悶着あったらしいのですが、それはどうでもよろしい。何故「駐車しないで下さい」じゃいけないのかが私には解らないのです。受診にきた患者は「お客様」だから「敬語風」な言い回しにしたのか・・。それとも、岩国(山口県)では普通なのか・・。「幸せます」との言い方には(今も)引かかっています。40年以上離れていた間に新しく生まれた言葉や言い回しですかね~。敬語で言いたければ「駐車なさらないで下さい」じゃないかしら?言葉遣いが正しいとの自信がない自分を棚に上げて、重箱の隅を突っつくような事を言うのは気が引けなくもないのですが・・。これはもう持病のようなものですからお許しを。ついでに言えば、いつの頃からか医療機関で患者が「お客様扱い」になり、その時にはぶっ飛ぶほど驚きがっかりしました。私は医療現場にいませんでしたが、医院の窓口で「○○さま~」と呼ばれて、とても居心地が悪く感じました。「言葉だけじゃなく扱いをお客様にしてよ~」と心の中で毒づいていました。そう言えば・・近頃は「○○さま~」と呼ばなくなったみたいですね。呼ぶ方も違和感があったんとちゃう?

2015/01/22| 日記
無題
曇り 時々薄日 夕方~雨  最高気温:9.7℃  最低気温:1.1℃
初大師

「健康保険料って高いな~」と10年前までは思っていました。それまで我が家では医療費の出費がほとんどありませんでした。子どもたちが幼い時は(今のように無料ではなかったので)それなりに病院通いもありましたが、成長してからはそれも激減しました。それが・・ここ10年というもの(特に私は)病院と縁が切れる事がありません。鎖骨骨折1回・脊椎骨折2回・肋骨骨折1回・靭帯損傷1回と整形外科が断然多く、これは教科書で教わった「中高年女性」が辿る道をまっしぐら!って訳です。他にコレステロールを下げる(本当に下がるのか?)薬・骨粗鬆症の進行を遅らせる(本当に遅れるのか?)薬・白内障の進行を遅らせる(本当に遅れるのか?)点眼薬。こうして書き出してみると我ながらナカナカのものだな~と感心します。白内障の点眼薬は(同じ物を使っている友人がいっぱい!)2種類を1日4回点眼するようにと言われていますが・・忘れます。薬局で聞くと「1週間から10日で1本」だそうですが、私のは1ヶ月(以上)ももちます。従って薬がいつまでもあるので受診しません。半年くらい経ってフラ~と受診する有様です。今日、半年ぶりに受診しました。以前から「少し高め」と言われていた「眼圧」が今日は「少しよりもも少し」高かったようで、そのための点眼薬も処方されました。と言う訳で「健康保険を十分に活用しています」というオソマツでした。
因みに白内障・高眼圧(緑内障予備軍)は母と同じで、いつも小さな点眼薬の容器をいじっていた母を思い出し「おやこ(母子)だな~」とチョット嬉しいなんて変ですかね。

2015/01/21| 日記
無題

晴れ     最高気温:11.0℃  最低気温:0.1℃
二十日正月
大寒:一年で最も寒さが厳しい時期で、一年の最低気温が記録されるのもこの時期。小寒から16日  目にあたる。

いや~!何だか嬉しくなるほどの良いお天気でした。一日中陽が射しているなんて今年初めてかな?しかも今日が「最も寒い」はずの「大寒」だというのも皮肉っぽくて好きです。どこまで「へそ曲がり」なんだと言われそうですが、この曲がっているところが真っ直ぐに伸びたら、その時は私が終わる時と心得ています。
夕方になってショックなニュースが飛び込んできました。豊真将がついに引退してしまい、興味は半減の大相撲ですが、やはり観てしまいます。今日も「さて、TVをつけようか」と思った時間帯でした。砂山(砂漠)に座らされた二人の日本人と、真っ黒な装束のイスラム国人。戦闘員ではない立場で紛争地帯に自ら入っていく人は、どの戦争・紛争でも存在しています。「危ないトコに行かないで家にいれば良いのに・・」などと思いながらも、彼らが発する臨場感あるリポートに注目したりします。これまで幾人もの写真家・ジャーナリストが倒れました。「家にいなさい」との気持ちは家族・友人の方が私などよりずっと強いはずです。それでも行ってしまうし、「行かずにいられない」と駆り立てる「何か」があるのでしょう。戦場ジャーナリストと呼ばれている人が「命が一番大切。死んじゃいけない」と語るのを聞いたことがあります。言葉ではそう言いながら「いつか現場で命を失うかも・・」との覚悟は持っていると感じました。何事にしろその事を「使命」と感じている人から、それを取り上げる事はできません。私は彼らの帰りを待っている人たちのために祈ります。


2015/01/20| 日記
無題
夜半小雨 晴れ 時々 曇り  最高気温:9.3℃  最低気温:3.3℃

10年前に移住してきて間もなくのブログに「石川佳純」さんの事を書きました。山口県の小学6年生でしたが「将来凄いプレーヤーになるから注目してくだい」という内容でした。当時は福原愛ちゃんブームで、中学から関西へ卓球留学した佳純さんは地味な印象だったかもしれません。その彼女が21歳になり3冠を達成しました。すごいぞ~!
家から徒歩30分くらいの小高い丘にある市営墓地で母は眠っています。「眠ってなんかいません!」と歌詞のように言っている母が見えるようです。母は未だに夢にしょっ中出演して来てくれます。何の違和感もなく昔のように会話し生活する日常に存在しているのです。「亡くなった人は夢に出ても喋らない」というのは嘘で、私は彼女といっつも喋っています。目覚めてからいつも不思議なのは、夢の中での母と私の「年齢」がどうだったか・・がどうしても思い出せない事です。

2015/01/19| 日記
無題
曇り 時々 晴れ間   最高気温:8.7℃  最低気温:-2.1℃
初観音

三が日を過ぎてから比較的落ち着いた気温でしたが、今日は冷えました。
昨日はTVもラジオも一日中祈りの中にありました。被災者が(やっと語れるようになった)20年前の日の事を聞いていて、思い出した事がありました。当時も今も関西には親戚がほとんどなく、大阪に住んでいた高校の同期生(♂)から聞いたことです。マンション住まいで結構揺れ、食器類は殆ど落下。「後始末が大変だったでしょう」と言うと「大丈夫な物が残ってないから全部捨てるだけだったからね。それほどじゃなかったよ」と。物は買いかえる事ができるけれど、買い換えられない「命」が失われる時間の傍にいた彼が言いたかったことが解ったような気持ちになったのでした。
列島のどこで大地震が起こっても不思議じゃない状況です。ここは「南海トラフ」に狙われています。と言いながらも何の備えもしていません。「なるようになるさ・ケセラセラよ」との無責任さと、「家は大丈夫じゃないかな?」との根拠のない楽天主義とが私を支配しています。どうも通津の友人たちにはこのタイプが多いみたい。困った事です。
蝋梅が良い香りと蝋細工のような花びらで咲いています。

2015/01/18| 日記
無題
晴れ 時々 曇り   さいこうきおん:8.3℃  最低気温:3.9℃
防災とボランティアの日・秋田梵天祭


阪神淡路大震災から20年。長かったと感じる方も短かったと感じる方もあるでしょう。震災に遭われた方々にとっては、様々な事柄について「耐える」時間だったことでしょう。20年前のこの日のこの時間、東京の自宅でいつものように早起きの我が家では(時計代わりの)TVで地震を知りました。6時過ぎの事で「あらっ死者も出たみたいよ」と連れ合いと会話し彼は出勤。私と子どもたちは(当時友人の子どもたちと一緒にしていた)ジョギング(6時15分から20分程度)に出ました。帰宅してただならぬ事態になっている事を知りました。
1~2年後、神戸の公立病院で看護部長(昔は総婦長)をしていた同期生が、東京の病院で看護部長をしていた同期生の要請でスタッフに向けて「震災体験」を話しに来ました。(スタッフではない)私も出席させてもらい生々しい体験談を聞かせてもらいました。彼女自身の家は倒壊し(2階で寝ていて被災)気づいて外に出ようと階段を下りようとしたら階段がない!壊れた窓から外を見たらそこは道路の高さだったそうです。とにかく「病院へ行かねば・・」と裸足で外に出て歩き始めたら、途中で人が紐のないスニーカーを下さったとか。何時間もかけて病院へ辿り着き、それから1週間は「顔も洗えなかった」と。入院患者と押し寄せる外来患者への対応は、聞いていたスタッフには大いに参考になったと思います。震災から数年後「元気になった神戸を見て欲しい」と彼女が幹事をかって出てくれて、神戸での同期会が実現しました。
夕方が明るくなりました。5時半の空です。

2015/01/17| 日記

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